世界経済における農業③食の欧米化

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冴えない人生をアップデート 自由な人生をコーディングするライフスタイルデベロッパー小森です。

前回は、世界経済における農業 食料安全保障についてまとめました。

今回は、前回話した食料安全保障の中で出た「日本人の食の欧米化」についてより深く解説していきます。もうこれ歴史の授業ですよっと

ここでいつもの知人Y氏にご登場頂き、欧米化した原因を聞いてみました。すると懇切丁寧に歴史を語ってくれました。知人Y氏によると、

日本が欧米化した背景

穀物貿易

1846年にイギリスで「穀物法」の廃止という政策変更が行われた。それまでは穀物の輸入を制限して国内の生産者を保護しようという法律であったが、経済学者マルサスと国会議員リカードの論争による論争で産業資本家が支持するリカードが勝利した。
「イギリスが穀物法を撤廃して、ヨーロッパ大陸の農業国から穀物を大量に輸入すれば、それと引き換えにイギリスの工業製品が、それら諸国に輸出されるようになる」との主張が通過したのである。

穀物法を廃止したにもかかわらず実際には輸入による穀物価格は安くならなかった。更にこの後、ヨーロッパ大陸を襲った天候異変とジャガイモの腐れ病の広がりで「輸入穀物の価格は高止まりのままになり、ただイギリスの食糧自給率だけが低下」していったのだ。
そんな時にイギリス、フランス、オスマントルコ連合軍とロシア、ブルガリアが黒海のクリミア半島で戦った「クリミア戦争」(1854-56)によってイギリスにはそれまでのロシアからの小麦の輸入が途絶えてしまい、国内の穀物が不足する事態に陥る。

困ったイギリス政府が新たな穀物供給先として選んだのがアメリカであった。アメリカは初めて穀物貿易で国際舞台に登場してきたのである。1854年にアメリカがイギリスに輸出した小麦は22万トンに過ぎなかったが1862年には100万トン、1880年には400万トンと大幅に増え、アメリカは19世紀末にはロシアに次ぐ世界第2位の穀物輸出国にヮ(゚д゚)ォ!

この時に穀物の運送を請け負ったイギリスやオランダの穀物商人であり、カーギル・ブンゲ・ドレフェスなど今日の世界を股にかけた穀物メジャーが誕生。

農業基板を強化した南北戦争

南北戦争(1861-65)により、農業を支えていた多くの男性が戦場へ駆り出され女性と高齢者で農作業を続けなければならない状況になってしまう。

そこで男性の人手不足を解消し女性や高齢者でも生産量を確保するため、省力化機械の「機械式鋤」「自動式刈入れ機」などが開発され一気に農業の機械化が進められることになる。

リンカーン

南北戦争終了後、リンカーン政権が樹立し新政府による「自営農推進」によって農民の穀物増産意欲が向上。
これらの要因によって入植する移民が急増し農家が激増。1860年の農家戸数204万戸が20年間で倍増し、1910年には637万戸へと増加。

結果、機械化・政策・移民によってアメリカの農業大国へ成長した。

第一次世界大戦終了後の農作物大暴落

戦争が終わってしまうとフランス、イギリス、ドイツなどの食糧生産も回復し、膨れ上がっていた戦争特需も急速にしぼんでしまうことになる。穀物価格の低迷はその後10年以上続き、アメリカ農業は大不況に陥ってしまった。
第1次世界大戦中の増産奨励にうながされて資金を借りて農地を買い増した中小農家の経営は破綻していった。

ルーズベルト

この苦境を脱するためにルーズベルト大統領が打ち出したのが「1933年農業調整法」であり、これがその後のアメリカ農業の根幹をなすものとなる。この法律の最も重要な政策は、CCC(商品金融公社)を設立して生産農家の販売価格を安定化させ、穀物を担保とした低利の短期融資を受けられるようにしたこと。このようにして安定を取り戻したアメリカ農業に追い風が吹くようになるのは第2次世界大戦(1939-45)であり、これによってアメリカ農業は再び連合軍の食糧供給基地となったのである。

政府はCCCによる農家への融資制度を大幅に緩和し農家の増産意欲を盛り上げていったために小麦の生産量は開戦時の27百万トンが1945年の終戦時には41百万トンに、小麦の輸出量も開戦時の2百万トンから終戦時の11百万トンへと増加している。

第二次世界大戦後の敗戦直後を襲った食糧危機

敗戦で日本は食糧供給基地となっていた朝鮮・台湾・満州を失う

農業資材・農業労働力の不足、作付面積の減少などによって、国内食料生産が大減産となり、加えて国家権力の失墜、闇取引による農家からの食糧供出量が激減。

敗戦によって150万人ともいわれる海外からの引き揚げ者により消費人口が増大し日本の食糧事情は戦時中よりも遥かに深刻な事態になってしまう。

さらに追い打ちをかけるように、敗戦した年に大型台風が2つ日本列島を襲う。昭和20年の夏はまれにみる冷夏となり、9月17日に枕崎台風が襲い、続いて10月9日に阿久根台風が襲来。

枕崎台風は昭和の三大台風のひとつに数えられる。被害者の内訳は死者2,473人、行方不明者1,283人、負傷者2,452人。終戦直後のことであり、気象情報が少なく防災体制も不十分であったため、各地で大きな被害が発生した。特に広島県では死者・行方不明者合わせて2,000人を超えるなど被害は甚大であり、原爆の惨禍に追い打ちをかけるΣ(・∀・;)

さらに阿久根台風は台風の勢力は特に大きくはなかったが、枕崎台風の被害もまだ復旧せず、しかも終戦直後の混乱期であり、被害が大きくなった。少数の文献に、死者行方不明を700人以上としたものが見られる。

両台風により、九州、四国、近畿、北陸、東北地方に至る日本全土に爪痕を残す大きな被害が発生し、米収穫量は明治38年以来の大凶作となりました。

結果、敗戦・原爆・人口増加・台風が重なり食糧危機に陥るヒイィィィ!!!!(゚ロ゚ノ)ノ

そこに目をつけたのがアイゼンハワー大統領です。(;´Д`)

アイゼンハワー

過剰生産問題

アメリカの農業は歴史的に見ると戦争と戦後の復興援助を契機として発展してきた。イギリスからの独立戦争、南北戦争、第一次大戦などで大量の農産物が消費されアメリカ農業興隆の一因となった。第二次大戦中アメリカでは農業従事者の約500万人が兵役につき、人手不足を解消するため農業の機械化、大型化、省力化、肥料増などが一段と進んだ。戦後は農業機械代金支払いのため常に一定量の生産を維持しなくてはならず過剰生産が慢性化していた。国内消費だけでは消費しきれず常に輸出が必要であった。

戦後、疲弊したヨーロッパの復興計画いわゆるマーシャルプランにアメリカは総額120億ドルの巨費を投じ大量のアメリカ農産物がヨーロッパで消費され1952年に大成功のうちにこの計画は終了した。51年から始まっていた朝鮮戦争も53年には終結し、同時に農産物のハケ口が無くなり過剰在庫は深刻化した。1950年代小麦、綿花、乳製品などの農産物の在庫総額は2兆円に上り、倉庫代だけで一日2億円以上、倉庫不足から大戦で活躍した多くの輸送船が倉庫代わりに使われたり、更には路上に野積みするなどで余剰農産物対策は急務であった。

過去、アメリカは1929年に世界大恐慌を勃発させたが、これの原因は過剰な穀物生産から穀物価格が暴落し、アメリカ農業が壊滅的打撃を受けた事で起こってます。
この過去から、53年に就任したアイゼンハワー大統領は日本を市場にする戦略をたて、余剰農作物問題と合わせ日本の食料安全保障を握ってしまう政策を遂行していく。そこで余剰農産物処理法を制定します。

余剰農産物処理法(正式名称:農業貿易促進援助法)

  • 余剰農産物の外国通貨による売却。販売代金はアメリカが当事国内で現地調達などに一部使用するが、残りは当事国の経済強化のための借款とする。
  • 災害の救済などのための余剰農産物の無償贈与。
  • 貧窮者への援助および学校給食に使用することを目的とした贈与。外国産の戦略物質・サービスとのバーターも含む。

この法案の本当の狙いは、売却代金の一部をその国の市場開拓費にアメリカが自由に使うという条件付きだったのである。ここにアメリカの真の目的があった。

真の目的

「敗戦国で著しい食糧難に見舞われている日本を食料支配させ、食料安全保障の手綱を握ってしまう戦略である」これにより、日本国に穀物の巨大な食料マーケットを作りあげることガクガクガクカヒィー(((゚Д゚)))ガタガタ

和食から洋食への施策

余剰処理農産物処理法によって、アメリカが外国通貨による売却を許可した事で日本はドルを使わなくても農産物を購入する事が可能になる。敗戦によって外貨に貧しい状況であった日本にとって農産物を日本円でしかも代金後払いとなればこれを利用しない手はないので絶対日本は買うって話(゚ー゚)(。_。)ウンウン

しかも農産物代金をアメリカは日本国内で使ってくれるっておまけ付きヮ(゚д゚)ォ!

これ完全に日本狙ったような法律ですね(笑)「貧窮者への援助および学校給食に使用することを目的とした贈与

これが曲者ヘ(゚∀゚ヘ)アヒャ

アメリカさんは「日本政府がパン給食を今後とも強力に推進するならば無償援助を続けよう」という条件を持ち出し、日本側は25年10月「学校給食は重要な役割を果たしている。日本政府は将来この育成に努力を払う」と回答。これによりアメリカは意図的に日本側にパンとミルクという学校給食のレールを敷きます。

さらにアメリカへ支払われた日本円は日本での市場開拓費として使われキッチンカー・パン職人育成・パン給食普及宣伝などの活動が行われたことによって、アメリカの農産物が日本へ輸出され急激な食の洋風化は一気に進むことになり、結果、日本人の日本食離れが急速に侵攻していきます。

これに合わせて、日本政府は、減反政策(田んぼを減らす政策)や直接支払い制度の補助金引き下げなど、農民を減らす政策を推し進めます。

まとめ

こうしてアメリカの思惑通りに日本は巨大な食料マーケットとなり、日本から既存農業はどんどん撤退していき、結果今の食料自給率になっていったわけです。

これによりアメリカは食料の輸出量をコントロールすることで、意図的に日本に食料危機を引きをこす事が可能になり、実質的に日本の食料安全保障を握る形になりました。
この他にも、日本は軍事の分野でも日米安保を背景に、依存しています。

この様な、他国に自国の安全保障を完全にコントロールされることを「属国」と言います。

もうY氏はヒラリーさんばりにドヤってました・・・・・・Σ(・∀・;)

ヒラリー・クリントンドヤ顔

次回は、「遺伝子組み換え作物について」です。お楽しみに〜

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